2024年 04月 15日
なかむらきりん壁画と小品展終わりました。 |
壁画に関しての考察と説明
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壁画の展示が終わりました。
いろんな方に見てもらえて良かったです。
気にしてくださった方も本当にありがとうございました!
今回は期間限定の機会を得ることができたとき
作品が残らない事を最初から知っていました。
遊び、実験で作るといわれても、
モノを作る人にとっては、どんな状況でも
手は抜くことはできませんし、
二度と同じものは再現できないので、
最初はこの壁画を描く話を受けるべきか迷いました。
正直一度断りましたし。
壁画を本当に残すというのは本当に難しい事です。
まず一つに、なんたって私がやりたかったことを自由に
書いたものなので、それが残るかという事に関しては、
壁は私の所有物ではないし、
そもそもそこにある必要性がある事が重要です。
昨今、古い建築を取り壊すことに関して
文化的な側面からアプローチして残そう
というお話なども良くありますが、
そうであっても実際問題それだけで済まない
事はいっぱいあります。
残すとしたら、この側面の意味を
見出すことは本当に大事です。
そんなわけで壁画が変わる事はあります。
人も建物も会社も街もすべてがそうですが、
すべてのモノは完成されたものでなく、新陳代謝を
繰り返して行くものです。
そういう意味では、今回の
この「ひととてま」という場は
いろんな実験を含んでいる場であり
意味の固定化を避けるのは当然だとは思うので
だから今回無くなる関しては私としても同意しました。
そんな中で機会を与えられたことに関しては
感謝しています。
ただ同じ形でのお話は今後受けるわかりませんが
今回、私はこれを受け入れることで、
私自身が先に行くためのキャリアを作るしかない
という想いで壁画を描きました。
なのでインパクトが無いものを作る気は
一切ありませんでした。
実物を見たかったけど見れなかった人はすみません。
気にして下さった方本当にありがとうございます!
しかし無くなるという事に関してはマイナスばかりでなく
音楽や言葉などいわゆる形には残らないメディアは
全ては砂上の楼閣で、幻の建築かもしれないけれど
本当に印象に残るものは消える事はなく
綻びることなく残る記憶になるというポジティブな面も
あると思っています。
このレベルの壁画でも誰か一人でも心の中に
残ってくれれば良いなと思っています。
あと私が今回の壁画を制作して考えたことなどに関してのメモを書きます。
ここから先は個人的な考えとかこれからどうしようという事の
メモですので気になる方だけお読みいただければと思います。
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作品の解説
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【会場での壁面の横に書いた説明書き】
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「ぶどう」と「しか」
私は建築が好きで、家を作るとかリフォームが
気になっていた時にたまたまこのお店の
お話を伺って知りました。
私の建築に対する興味として内と外の関係があります。
建物って、人を風雨から守るモノとして
壁や屋根を作る事により、
自然と隔てていますが、特にアジアの建築を見たときに、
窓以外でも襖絵や縁側など外とのつながりを
意識した絵や機能や空間があって
内と外が交わるような感覚を覚えたりします。
内と外との境界が曖昧な所は、
実はアジア的なアイデンティティとか
宗教観とか世界観、倫理観等もある気がしています。
なので作品を作るときは基本的にその建物の外と内を
繋がるものをテーマにします。
今回はこのお店の外に植えられた
ブドウが実った鹿を描きました。
本当は玄関から生える外のブドウと繋がると良いのですけど。
そして鹿は私が良く作るモチーフです。
現実と妄想が交わる境界線に、いつもと違う豊かで楽しい世界が
出来るといいなと思っています。
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こちらが今回の作品の横に置かれたキャプションです。
これからもう少し濃いめの解説をしていきます
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①【内と外の関係について】
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今回壁画を描くにあたって、このお店の外にあるブドウと
内装の壁画に描いたブドウをつなげることによって、
いわゆるただの絵ではなく「建物自体が作品」になる
というコンセプトで制作しています。
(まあ部屋の一部しか変えていないので
わかりにくかったですが)
今の時代ではよく見られますが、アートが、いわゆる美術館、
ギャラリーだけが作品の発表の場でなく、
いろんな所で展示がされるようになってきました。
私も出来たら、完全に社会と切り離された世界での
展示ではなく、社会と鑑賞者の間に作品を通して
関係性を結んで世界が変わるような
作品が作れたらいいなという想いで作品を作っています。
毎回、私の展示の時に考えることは内と外を
繋ぐ境界がテーマになります。
今回は建物の内と外という部分に着目してみます。
その空間の違いの一つに「プライベートスペース」と
「パブリックスペース」
という違いが一つあると思います。
「プライベートスペース」には個というイメージ
「パブリックスペース」は公共とか社会という
イメージがあります。
普段の生活で私たちはその空間を行ったり
来たりしながら生きています。
そして二つの空間は、常に相互に作用をしている関係だと
思っています。
そして今回描いた絵に関してですが
花の中に立つ鹿は、角にブドウを生やしていて
「店の外の外壁につたうブドウ」とつながっています。
鹿という存在は、建物という構造の内と外のボーダーの
仲介する媒介者としての役割として描きました。
また鹿の手前にある花も「現実に絵を見る私たち」と鹿との
境界線になっており、そこには鑑賞者と鹿との
世界にも境界があるという構造になっています。
私は鹿という媒介者と対面することによって、
建物の内と外がつながるように
見る人が自分の内と外に関して対話が
出来る場が出来るといいなと思って描きました。
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②【鹿という存在】
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そしてこの文章の中で「鹿」と書いたのですが、
この動物は本当に鹿なのかな?と思ったりしたのですが、
私は結局絵を描く人として出てくるキャラクターを
自己投影するのは自然の事かもと思い、
絵の中に出てくるメインの動物を「麒麟」の化身
として描いています。
「麒麟」にまつわるお話としては、
日光東照宮に家康が奉納した麒麟の絵があるのですが
麒麟という聖獣は、平和や平穏を好み、
そういう場にしか現れないとされていて、
今後大きな騒乱が出ないことを祈って
奉納されたと聞いています。
麒麟の形は諸説ありますが、
私の中の麒麟を作っていこうと思います。
この麒麟が現れる所には、平和とか平穏、
もしくはそれらを求めている場であればいい。
「パブリック」と「プライベート」のスペースの中に
そういう空間を見出すことを出来ればという
思いで制作しました。
麒麟はただそれを見守る存在です。
いつの世も世界のどこかで戦争や紛争が起きている。
戦争がなかった時代なんて実はほとんどない。
それだけでなくてもちょっと外に出れば、私たちは
個人では簡単に変えられない混乱や苦しみに
直面することもある。
そんな中でも自分の内や外に自分なりの麒麟が現れて、
平和で平穏の場をどこかに持つ場所を作ることが出来たら
どんなに辛い状況でも希望が見えるのではという
そんな気持ちを込めて制作をしていました。
私の好きな言葉の一つ「二ーバーの祈り」
神よ。私たちに変えられないものを受け入れる
心の平穏を与えて下さい。
変えることのできるものを変える勇気を与えて下さい。
そして、変えることのできるものとできないものを
見分ける賢さを与えて下さい
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③【その他の事】
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またテーマの元としては「アンネの日記」や私の地元天草の
「隠れキリシタン」の事を思い出したりします。
個でいる事、一人でいる事、自分を見つめ、
自分と対峙し、自分と語り合う場であったり
自分の中の思考や記憶や妄想と戯れる時間と場所は、
社会と隔絶できる自由がある。
戦争の中アンネが空想の日記をつづっていたように。
辛い外界から自分を守るために妄想と孤独である事が
蚕の繭みたいな役割になって自分の芯を守り支えている。
もし周りに誰もいなくても唯一の自由な場所を
自分の中に作り出すことが
出来る所に希望を感じたりします。
また逆に社会とかかわることで癒されるものも沢山あります、
一人での行き詰まりを人や物に出会うことで進むことが出来たり
救われるような場であると考えます。
どちらも大事で、どちらも行き来することによって私たちは
生きることのバランスを保っていると思っています。
もし今後大変な世界が来るとしても
何処かに平穏な場所を作ることの
大切さを感じています。
カフェやバーをやることも
結局そういう場を作ることだと
思ったりはしています。
あと、そういえば最終週の土日のみ、
私が練習で書いたLa machineという会社が作る
巨大な立体の設計図を展示場所に展示したのですが、
私がLa Machineに行って巨大な立体を作りたいと
思った理由も、やはり「麒麟」がいろんな街に
現れるイベントを作れたらなって思っていました。
立体を作るのは難しいけれど、いろんな壁面などに
出現させることはできるかもとは思ったりはしていました。
ウクライナやガザそして緊張感のあふれる東南アジアもね。
一杯そういうところはあるので。
そんな夢ですね。
また、そういう大きい事だけでなく、個人に落とし込める
何かを作ることも考えていこうと思っています。
今回は展示と一緒にコーヒーを使って絵を描くワークショップ
みたいなモノもやったのですが、凄く楽しかった。
絵をうまく描くとは異なる視点で、どちらかと言えば
モノに触る感覚を通して、自分の中の感覚を取り戻すみたいな
そんなイメージでした。
なので、皆が描く絵がほんとに素晴らしく愛おしく
凄いな―って思えることも沢山ありました。
本当にありがとうございました。
お仕事としてもいろいろな絵を描きつつ
私個人としては、いろんな事を考えつつ作品をこれからも
作れればと思っています。
今回の展示はこれでおしまいです。
またどこかでお会い出来たらうれしいです。
by namkirinn
| 2024-04-15 11:45
| 2023なかむらきりん壁画と小品展




